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【コラム】52歳。初赴任、ケニア。

  • 執筆者の写真: SM(Co-CEO)
    SM(Co-CEO)
  • 2024年8月7日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年8月23日

「52歳女性、初の海外赴任はケニアの田舎。そして更なる挑戦へ。」 ケニアでの食事会。

 隣に座ったK子さんとおしゃべり。ケニアの地方で活動する日本のNGOでインターンをしているとのこと。聞くと、娘さんが2人いて、一人は社会人とのこと。


 K子さんは、日本で民間企業を経て区役所で管理栄養士として30年弱勤務し、長女が18歳になる年に海外協力隊に応募して、ケニアに派遣されることになった。


 K子さんは、大学時代に青年海外協力隊の先輩たちと出会い、いつか自分も海外協力隊になりたいと思っていた。40歳以上になったらシニア海外協力隊として海外に行こうと決め、日本で、管理栄養士としての経験を積むと同時に、結婚&出産。長女が18歳になった年に協力隊で海外に行くことを目標に、子育てと仕事に励む。

 当時のシニア海外協力隊は家族も帯同できるということで、海外志向が強かった次女だけには「お母さんが協力隊になったら、一緒に海外に行こうね」と約束し、夫と長女に内緒で協力隊の試験に挑戦して見事合格。しかし、合格した年は、シニア海外協力隊の待遇が改正され、家族帯同も禁止となっただけではなく、コロナが猛威をふるっていた。


 コロナ禍もどうにか収まり、予定より1年遅れてケニアに赴任。栄養士として田舎の保健施設に派遣され、地域の母親と子どもを対象に栄養改善活動、小学校児童へ食育の授業を行った。協力隊としての2年の任期を終え、日本に帰国。日本に帰国しても、ケニアに戻って栄養士として活動したいという気持ちが強く、「国際栄養」を学ぶために大学院進学を考えているときに、ケニアで保健開発活動をしている日本のNGOがインターンを募集していることを知り、応募した。大学院で「国際栄養」を学ぶより、ケニアに戻りたいという気持ちが勝った。そしてK子さんはNGOのインターンとしてケニアに戻った。



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JICA海外協力隊時代の小学校での授業風景




 K子さんの新たな仕事は、ケニアの若い世代も知らない、地域に伝わる郷土食や栄養豊富な伝統野菜、ハーブ、果物など生物多様性の価値を見出し、記録していくことだった。この仕事は、K子さんがもともとやりたかった栄養改善の仕事ではないと当初は感じたが、環境に配慮した伝統農法で栽培された郷土食材を見出し、記録することはまさに栄養改善につながる仕事だと気づかされたのだった。生物多様性をキーワードとした活動をするうちに、栄養士のときには知らなかった食の世界がどんどん広がり自分がより深く学びたいのは、「国際栄養」ではなく伝統農法を通した栄養改善だと気づく。


 インターンとして3カ月の予定のケニアでの仕事が、15カ月に延長された。予定よりも1年長くなったケニア滞在について、夫も娘たちも「好きにすればいい」と半ば呆れているようでもあるが応援してくれている。


 50歳になり、一番上の子どもが18歳になる年に焦点を定めて、昔からの夢だった海外協力隊となってケニアでお仕事。協力隊が終わってもケニアにNGOでのインターンとして戻り、新たな世界が広がり、新たに学びたいことに出会った。



 きっと、これからもまた新たな扉がどんどん開いていくことだろう。

人生何があるか分からないけど、50歳を過ぎても「意志のある所に道がある!」やりたいことはいつでもできる。



そしてやりたいことをやっていたら、次の道も拓く。

人生100年時代の最先端を生き方ではないだろうか。




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ケニアのリゾート地のディアニの海岸で、協力隊の仲間たちと。 K子さんは、協力隊の仲間の年代はバラバラだけど、素晴らしい同期達に囲まれて充実した2年間を送れたと言います。



※本文中の写真は本人・学校長の許可を得て掲載されています。

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